父がもし、この世にまだいたら、白いシーツと透明のマスクをして病院だっただろう。
父は観に来れなかったかもしれない『まごの初めての小学校運動会』
たぶん、今は身軽るになって、どこかで観覧しているかもしれないわね。
弁当箱の重箱は、わたしが小学生の頃から使われていたもので、
まさか、時短料理が自慢のじぶんがこんな重箱を詰める日がくるなんて、
年を重ねるって、意外なほど、記憶を頼りにして生きていくものなんだと思う。
だから、日常が大切なのね。
突然蘇る、いつかきみに届くように。未来へのメッセージ。
重箱は、わたしたちの運動会には活躍していて祖母も、祖父も手にしていた。
当時、運動会のお弁当時間は、ビールもふつうに振る舞われていた。
叔父や、叔母もいたりして。あちこちの家族の円が重なり合っていた。
そんな楽しい記憶が、わたしをつくってきたように、きみを育てよう。
大鍋は、10人以上の料理に余裕で活躍。
今では、正月とお盆と、大勢でする田んぼ作業の時ぐらいだけど、
わたしが小さいころは、毎日、ほぼ、この鍋が台所にあった。
だから、この大鍋で料理をすることに、抵抗する概念がない。
例えば羽釜でご飯を炊くことに抵抗を感じる。とか。
そういう、未知の領域=めんどうさ、みたいなね。
今年の稲刈りは、大人向けの甘くない煮しめ。昼も夜も。
よき働きに、ムクイラレますように。
今宵も、食事をつくる。
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