こどもの遊び場は学び場。
常日頃、よちよち歩き始めてから、中学生にあがる時期まで、庭先で遊ぶ子ども達。
けんかを懲りずにやる時期もあるみたいです。
それでも、おもしろい発想を展開し、遊び続ける姿はいつも感服させられます。
駄菓子を食べ、あげたり、もらったりしながら、
けんかはしても、あっさりとしているのは、親同士の「あ・うん」のつながりがあるからかなぁ。
隣の家のおやつは、魔法の味。
それもそのはず。
「フライパンじゃないよ!ポップコーンのマシーンから溢れてくるんだよッ」
常日頃、旬の溢れだした野菜を頂いたり、手仕事のいつものものを毎年頂いたり。
ありがとう、ごめんねぇ、ごちそうさまの繰り返しで、年々深まっていく間柄。
相手がいるから喧嘩もできる。
喧嘩ができるから、笑うこともできる。
ぼくは、わたしは、きみと一緒に今を生きている。
そういう日常の場は、無形資産。
大人になってからは、心を新しくできる『ゆとり』の場に変わると思う。
ゆとりの空間には光と風と水が染み込み、そこに生きものが生息しているから、美しい。
ぼく達だけの場ではないこと。
学校では、雑巾がけもするし、校庭を掃くけど…
自然環境や、道徳も学んでいる。
さぁ、この書き札を見て、子どもたちの行動は?!
どうやら、禁止用語も使われてないし、ぼく達を褒めてもいる文に疑問を抱いている。
「え~、なんて書いてあるの?わかんなぁい!」
7歳では文の意味が分からないでも興味深々。
「おともだちの物はきれいにして返してあげると嬉しい」
書いてある文の意味が分かるものから、直ぐに行動する8歳。
「これ大事だし。また土を運ぶ道具だし。」
大人が見れば、それはゴミの分類だが…必需品のようだ。
「誰が書いたんだ!」
考える前に、行動する8歳とは違い、謎を解こうとする10歳以上。
「環境を大切にして下さいって事じゃない?!!」
なるほど!と分かった時点で、終了してしまった。
ベンチの上のゴミやお友達の忘れた道具等は、誰かが行動してくれた。
ここは、みんなの場であり、自分の心のままに動こうとする欲望に節度をもって、
美意識、躾も同時に育って欲しいです。
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