その土地の環境だけでなく、人的、自然的、歴史的…
全体的なことを含んだ環境をひとくくりで『テロワール』というのでしょうか。
それは日常の営みの紡いだ結果を、愛おしんだ価値を、言葉で表している。
姶良の有機農家のタナカさんがおっしゃっていた
「種子島の安納芋を植えても、あの味は種子島でしかできない」
そう、樹木も同じ。九州でも育ち方が違う。
それで今回この姶良の気候を知っている近くの山々の調査に、
再びやってきた、庭師夫婦(STUDIO BEAR BARD)。
この雑木を植えた2010年当時の話、水脈改善を行った後の状態、一番近年の植栽の状態。
それらをじっくりと観察し、私たちの暮らしと折り合いをつけている自然との距離感。
樹木に対しまるっきり素人の住人は、ともに歩んできた仲間だ。
色々と思うことはある日常、それでも明るい今があると!
マダムの手料理、グラタンの大皿。ひとの家の味は美味しそうに食べる。
冷蔵庫のモノで大鍋の筍カレー、近所のベーカリーのカンパーニュ、
おつけもの、実家の生野菜、
あとは、一升瓶の焼酎までいきつかなかった23時。
庭師夫婦を囲み、雑木林と8つの家のオトナ会。
いつの間にか、互いの日常のあれこれを流し合って、
スリッパでフラフラと家へ。
テロワールは、必死に生きている日常の積み重ねと、つながりの濃さ、
みたいなことなのかも。
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